01好きなスカジャンの街で
好きなスカジャンの街で。
ずっと好きだったスカジャンの街に引っ越してきたのが14年ほど前です(2020年8月時)。スカジャンのデザインをする人になりたかったし、スカジャンのデザイン=私しかいないという、スカジャンのクリエイティブの中心になりたかった。広島といえばもみじ饅頭みたいな、あれといえばこれの関係性です。でもそう簡単なことでもないし、当時は知り合いもいません。どうやったらスカジャンの街で、スカジャンづくりに携われるのか。そう思ったときにまずやったことは、ドブ板通りにオフィスを構えることでした。
地方都市でよく、都会のIT企業が乗り込んできて町おこしで失敗するのはなぜなんだろうって考えると、土地の文化も知らずにこうした方がいい、ああした方がいい、ITの力で街を元気にって提案したらだいたいうまくいかないんですよね。もっと泥水をすすらないといけない。たとえばめちゃくちゃ仲良しの町のおじさんが、ITに詳しかったらそれでもういいじゃないですか。企業が乗り込んでくる必要もない。私も町の人たちから見ればそういうIT企業と同じような存在になってしまうなと思ったから、まずは仲良くなろうと。文化を知ろうと。いつまでも「あっち側」からああだこうだ言うのはやっぱりダサいんですよ。「こっち側」の人になって、中に入って、一緒に苦しまないとわかんないじゃないですか。だから、ドブ板に事務所を構えることから始めました。
チャンスはどこにでもあって、そのチャンスを逃さないってことが大事なんですよ。私がいまスカジャン絵師として活動できているのはいくつかあったチャンスをきちんと掴んだからだと思います。横須賀に引っ越してきた翌月に、地元の市議会議員の決起会で出会ったドブ板通りの人たちに色々聞かれたんですよ。こういう街だと、こいつが何者なのかってことがわからないとだめなんですよね。その中にドブ板通り商店街のTさんがいて。とにかく怖いんですよ。顔もしゃべり方も(笑)。そんな強面の人が根掘り葉掘り聞いてくるわけです。何の仕事の人なの? デザイナー? 絵とか描けんの? なんで横須賀に引っ越してきたの? って。帰り際に連絡先を交換させてもらったら、その週には「今いる?」ってすぐに連絡がきて。で、「絵描けるんでしょ? スカジャン好き?」って言われて「はい好きです」って答えたら「じゃあスカジャンの絵描いてくれる?」って。そこからなんですよ私とスカジャンが始まるのって。こういうチャンスをきちんとものにするためには、やっぱり徹底的にやるってことです。限られた時間の中で、そこまでやる?ってくらい動くこと。この時はスカジャンの資料を借りて、「このあと1時間後に集会があるから来てよ」って言われたその1時間でわーっと知識を得て、スカジャンの絵柄のラフスケッチも描いて持っていった。私がいまできることをやった結果、チャンスを掴んだと思うし、街の人たちの信頼も作り出すことができたんです。スカジャンの絵柄といえば横地くんだよね、っていう。
02スカジャン絵師としてではなく
スカジャン絵師としてではなく
世の中への打ち出しとしては“スカジャン絵師の横地です”ってことにはなっているけど、本当は愚直な職人のように仕事ができたら一番かっこいいけど、私は何か一つに秀でたりはしていないのでそんな風にはできないんですよ。だからデザイナーやったり、シナリオライターもやったり、色々な仕事をしているんです。でも例えば漫画が描ければスカジャンを絡めたストーリーもいくらでも考えられる。職人にはなれなくてもご当地の名産品の中心人物が、あらゆるものを作れたら最強だろうっていう発想ですよね。
ドブ板に掲げられているフラッグがあるんですけど、それも私が作らせてもらったんです。町の商店街のフラッグはどういうのがいいかなって考えるのはもうブランディングの領域じゃないですか。ただスカジャンの柄を使ってってことじゃなくって、商店街に来る日本人観光客も、アメリカ人も期待しているようなものにしなくちゃいけない。だからドブ板通り商店街って文字は、この町で昔から使われているフォントを使ったり、1946年あたりに作られたフライトバッグ、こういうのは戦争のお土産ですけどね。そこに描かれているテイストを踏襲したり。自分でフォントを作ったりすると、その詳細を知らなくても人って雰囲気で時代性を感じるじゃないですか。いまの洗練された「アメリカン」じゃない時代の空気みたいなものをフラッグに封じ込めることができるのは、やっぱり職業がクリエイティブディレクターだから。クリエイティブディレクターとしては、街づくりのクリエイティブ全般をディレクションできるのはなかなか得難い経験だと思いますね。
03研究のはじまり
スカジャンのことが何もわからなかった
私がいまやっている活動は何かっていうと、ただスカジャンの絵を描いているんじゃなくって、スカジャンの歴史を研究しています。きっかけは、何もわかんなかったんです。私が初めて横須賀に来て、スカジャンをどこで買ったらいいんだろうってことが、何もわかんなかったんですね。ちょっと高価な物を買おうとしたら、今ってもうすぐ調べるじゃないですか。どこが老舗なのかなとか。特にビンテージ・古着ブームをリアルタイムで知っている世代の価値観としては、調べておきたい。バンドTシャツだって、自分が聴いたこともないようなバンドのTシャツ着てたらダサいなみたいな。ちゃんとそのバンドの曲を知ってなきゃいけないんですよとかあるじゃないですか。だから「あいつあんなの着てる。知りもしないのに」って思われたくないという気持ちが、洋服にお金をかける世代って強いと思うんですよ。そういう意味で、いまこの状態で私がスカジャン着たら、恥ずかしくないかなって思ったんです。ダサいんじゃない? って。何もわかってないのに、って。もっと言えば、スカジャンのことってもしかして誰もわからないのでは? って思って。その町の名物だよって言うモノは、きちんと定義がないとダメなんじゃない? っていう。そのスカジャンの定義って誰もわかんないんじゃないかなって思ったんですよ。たとえば松阪牛ってこういうものだよっていう定義があるように、それをまず作ることが名産品をより上のステージに持ち上げるために必要だろうなって思って。だからスカジャンの勉強をしようと。
資料は数冊くらいしかなかったんでずっと読んでたんですけど、スカジャンメーカーが関わっている本を読みながら気付いたんですよね。この本って宗教における経典みたいなもので、都合の悪いことが書いてないですよ。スカジャンメーカーのスカジャンを広めるために作られているいわば啓蒙書の側面があるので、それ以外のことは書いてないんです。スカジャンの魅力を知るには素晴らしい本ですが、研究の一次資料には、当たり前ですけどなるはずがない。私はここに載っていない、隠された柄や歴史を発掘していくところから始めないと、スカジャンの研究ってできないんだなと思ったんですよね。ただドブ板通りって、スカジャンを売って暮らす場所だったから、当然当時はスカジャン1着売れたら良い暮らしができるぞ、2着売れたら子どもを学校に通わせられるぞ、みたいな感覚で商売していただろうから、1着ストックしておこうって発想にはならないんです。そうすると今となってはもうほぼ何も残ってないんですよ。あとはスカジャンって戦後1946年ぐらいから作られているで、その生き証人みたいな方も亡くなってます。だから子どもの頃にスカジャンを見たことあるなってくらいの人はいるけど、ちゃんと語れる世代ってのもいないということと、スカジャンってお土産品なので、ガマの油売りみたいなことが起こっていて、尾ひれがついて、色々な噂とかも混ざって、結局いま伝わっている有名な秘話とかがほぼ嘘だったりするんですよ。スカジャン好き誰もが知ってる話が嘘だったりするんです。
04モノから歴史を読む
モノの存在から歴史を整理する
神戸大学の大学院で認知心理学を学んでいたんですけど、心理学の研究って人とは何かってことを学ぶわけじゃないですか。で、特に認知心理学が専門だったんで、いちばん信用ならないのは人の証言だし、目撃証言だってことを私は認識しているんです。人はどんどん思い込むし、思い違いもありますから。そういうことがスカジャンでもやっぱり起こっていて、ウィキペディアに“スカジャンはパラシュート生地を米兵が持ち込み、それを縫ったのが最初である”ってずっと書かれていたんです。それを言った人がいて、そのまま証言として残っていて。でもパラシュート生地ですよ? あんなものにミシン掛けたらどうなるかって、実物見ればわかるんですよ。これ絶対裂けちゃうだろうって。不可能だと思うんです。一緒に研究している横須賀美術館の学芸員さんは「そもそも私は、横須賀にパラシュート生地なんてなかったと思います」って言ってましたけど、そうなんですよね。沖縄はパラシュートって降りてきたからパラシュート生地はあるけど、こんな本土までパラシュートでは来ないじゃないですか。普通に船で来ただろうっていう。学芸員さんは米兵がパラシュート生地を持ち込む方がおかしいんじゃないかと言うのですよ。だって使ってないんだから。そういうごもっともな話があると同時に私がいちばん気になったのは、ないんですよそんなもの。モノ自体がないんです。それだけみんなが言ってるんだっなら、パラシュート生地のスカジャンの写真があってもおかしくないはずなのに、ないんですよ。おかしくないですか。そこで私は思ったんですよね。結局これまでのスカジャンの歴史って、全部口伝だったんじゃないかって。伝わっていくうちに嘘とか思い込みもどんどん内包しちゃって。人の証言=スカジャンの歴史だということがすごく変だなって思ったんですね。
逆にモノは絶対に嘘をつかないわけだから、関連するモノを集めて、そこから仮説をいくつも立てて、反証するようなモノがあるのか・ないのか、確証するようなモノが存在するのか・しないのか。そうやって真偽を判断していくしかないんだなと。モノがあることこそが今いちばん有力な仮説であるという方法しかないんだなと。だから私は、モノを徹底的に調べるってことをやったんです。戦争のお土産品を全部見ようと。モノを見れば絶対にわかるわけだから。もうそこからはずっと日夜インターネットし続けて。
定説として、スカジャンというのは制服をカスタマイズするという文化がアメリカにはあって、自分の制服にも刺繍を入れて欲しいっていう人が増えて、その流れからスカジャンの原型がだんだん出来てきたって言われていたんですよね。刺繍を施した現物も私は持っているんですけど、ある時モノを見て気づいたんです。これ制服じゃないじゃんって。制服だ制服だってみんな言ってるけど、制服の上着っぽく作った、シャツだったんです。中国の戦争土産であるんですよ。私はシャツジャケットって呼んでますけど。制服っぽいシャツで、米兵が買って帰るためのお土産品。エジプトにも似たようなお土産品があって、そこに描かれているのはイーグルと、星条旗と、イカリ。USネイビーって書いてあって。この絵柄って当時のスカジャンと同じだから、似たような(柄の)モノがエジプトにもあるし、横須賀にもあるんですよ。これ誰もそんなことを言ってなかったじゃないですか。エジプトにもあったよなんて。私、エジプトにあったじゃんと思って。しかも形は中国のシャツジャケットだし。世界がお土産でつながってるんですよ。こんなことを誰も言わなかったですよ。
そもそもなぜ制服に刺繍を入れたものがないかっていうと、すごく当たり前の話なんですけど、米兵の制服ってその人の命を守るためにあるものだから、迷彩柄に絵なんて描いたらすぐ撃たれるじゃないですか。その現場を想像したらなんか結構わかりやすいなと思って。支給品の制服にこんなスカジャンみたいな刺繍入れてるやついたら、絶対ダメで。だから、制服っぽいものに刺繍を入れたお土産が売れるわけですよね。上着として外で着れる。確かにあるんですよ。米軍にカスタム文化って。そこには海軍か空軍かでまた違ってきて、たとえば空軍はフライトバッグをカスタマイズして、お金掛けて柄を入れたりするんですけど、これって空軍だから自分のコックピットに置くことがステータスだし、万が一の時に身元がわかるっていう空軍独自のカルチャーですよね。同じことを海軍がするかって考えたら、派手な柄が入った高価なバッグを、二段ベッドで共同生活しているような環境には置かないですよね。だから、たぶん最初に支給品をカスタムしたのって空軍なんだなって、モノから推測できる。海軍がいる横須賀では、制服や支給品をカスタマイズしないから、制服っぽいものをカスタマイズして売る。それが理にかなってるなと。でも私は、絶対やばいやつが海軍にいて、割に合わないのに海軍なのに空軍のフライトバッグみたいなの作ったやつがいたんじゃないかって思ったんです。私は世界的なコレクター(アメリカのプロレスTシャツ・ぬいぐるみなどのコレクターとして専門誌に登場している)なので、自分で言うのも何ですが検索する達人なわけですよ。何でも欲しいモノは絶対に探し出すっていう。どういうものと間違えて売りに出すだろうっていう心理も考えながら検索ワードを駆使してついに見つけたんですよ。フライトバックと同じペイント手法で、YOKOSUKAって文字が入っている海軍のバッグを。やっぱりいたんですよ奇天烈な傾奇者が。こういうモノが、どんどん化学反応しながら、スカジャンができてきたんだろうなってやっぱり語ってくるのはモノなんですよ。
だからスカジャンっていうのは、米兵は戦争で勝って浮かれてるから、何でも売れるんだ、特にイーグルと国旗いれたら売れるんだって、エジプト人も中国人も日本人も知っていて、お土産を買った米兵の体験が口伝で各地に広がって、その土地々々のお土産が集結して、スカジャンが形づくられていったんだってことが、モノだけ研究していたらわかったんですね。人に聞いても絶対に出てこない。だって、聞いたその人は日本のことしか知らないですから。エジプトの人に聞いたって、エジプトのことしかわからない。私はインターネットで“スーベニール 世界大戦”(実際は英語)って検索して出てきたやつは、ほぼすべて見て、何万件という検索結果を全部頭にインプットしたからわかったんですよね。でも疑問じゃないですか。なんでエジプトにあるんだろうって。なぜ中国なんだろうって。そこで今度は世界の歴史を勉強すれば、なるほどここでは北アフリカ戦線っていうのがあって、それが終結してここでお土産ができるんだ、って。中国はなんだろう。CBI戦域ってのでこの年に戦争が終わったんだ、みたいなことを年表にマッピングしていくんです。これこそが、本当に自分が知りたかったスカジャンの歴史だなと思いましたね。
05生きるための派手さ
生きるための派手さ
第二次世界大戦後の年代を気にしながら戦争土産品を見ていくとわかるんですけど、派手めな柄がだんだん増えるんです。日本で作ったものを中国人が見て、日本ってここまでやってるんだって思って自分たちも盛り始めるみたいなことが起こり、そうやって相互干渉をし始めるんですよね。こういう日本人の異常なまでの勤勉さ、丁寧な仕事を見るとすごい胸が締め付けられるんです。だって自分の親族を殺したかもしれないようなアメリカ人の顔を、戦争土産としてハンカチに描かないと生きていけなかったんですよ(アメリカ人が残酷という意味ではないです)。でもそんな時ですら、日本人って工夫してるじゃないですか。美しく仕上がるように。それを出来るのは日本人がずっと持っているメンタリティーなんですよ。別に相手のためとか誰のためじゃなく、何か良くしたい、何とか良くしたいっていう。その結晶が戦争のお土産品なんです。私が尊敬してるスカジャン職人である※イカリ※さん(名前がわからないので錨を縫った方ということでそう仮称しています)は、お客さんがこう言ってるとか、ああしてほしいとかって声を超えて、自分自身がこの形が格好いいからって思ってYosuka,Japanって文字を美しく描いたんです。その文字は今でも色々なスカジャンに登場しています。
明日生きていくためだけに作っているものを、誰よりも格好良く仕上げたいって思ったその精神で、日本で作られたお土産って世界を席巻したんですよ。スカジャンも含めてめちゃくちゃ売れて。その結果どうなったかっていえば、スカジャンに代表される横須賀を中心としたスーベニアカルチャーが、日本人のこだわりによって世界一のお土産になったわけですよ。それで横須賀はその世界一のお土産の街になったってことだと思うんですけど、これが別に横須賀だからではなくて、単純にそういう風に物を作ってしまう日本人の存在によって世界一に押し上げられ、日本人らしさが世界に広がったんだなと。
求愛するために派手な鳥っているじゃないですか。あれの派手さって命の輝きですよね。派手じゃないと子孫が残せなくて、途絶えてしまう。戦後のバラックだった横須賀に派手なスカジャンが吊るされた様子ってまさにそれだな思って。生きるために派手になって、米兵に買ってもらって生きながらえる。そういう生命の輝きみたいなものが、このド派手な柄に込められていたんだなと思うと、これを縫ってる人たちのこと、柄を作った人たちのことを愛しくなるんですよ。戦中に更地になっちゃったところから、一大繁華街になるまでにすごい生きようとする人々のバイタリティーがあったわけでそれを象徴したのがスカジャンなんだと。それがいつからか普通に、ただのお土産品になっていったわけですよね。そこには語られるべきスカジャンの文脈がすべてばっさりとなくなって、ただスカジャン売ってますみたいな。柄は派手ですみたいな。そういうことだけになっちゃって、その結果どこにでも売ってる、横須賀のものではなくなったんです。それは別にカルチャーではないと思うんですよね。なんでこれが素敵なのか、人間の生きる可能性を象徴してるのかっていう話を全然知らないまま、人々はただのお土産品として浪費し、カルチャーの部分はなくなっていってしまう。それってせっかくこの町でこういう柄を考えて、売ってやろうぜって躍起になった人たちの想いがもったいないよなと思って、その想いをつなげられたらなってことでこの活動してるんですね。スカジャンは日本のモノづくりの結晶だと思ってるから、どっちみちお土産として売るんだったら、ちゃんとした系譜になるようなお土産の方がかっこいいじゃんと思っているということですね。
06装飾を纏うことの意味
装飾を纏うことの意味
文楽とか歌舞伎、スカジャンもそうですけど、なぜ日本の装飾がこんなに豊かなのかなっていうのは、やっぱり「柄と人」についてを調べないとわかんないなって思っていて。で、調べていくと柄は祈りだってことに気づくわけです。絵や柄って、まず壁画から始まりますけど、あれは願いとか祈りとかそういうものじゃないですか。中国ではお墓に日と月と星の柄を描く文化があって、これって柄のひとつひとつにパワーや意味があって、全部付けるとパワー完成みたいな。スカジャンだったら龍と鷲それぞれのパワーみたいなのがあるよってカルチャーですよね。スカジャンが作られた当時、龍ってこういう意味だよ、こういうパワーだよって思ってはいないけれども、柄自体には力が残っているというか。だから柄だったら何でもいいわけじゃなくって、その柄の祈りと意味も含めた新しい柄を作っていくっていうか。なんとなくそれっぽいみたいなことでは、だんだんディテールが崩れていって「スカジャンっぽくない」ってなるんじゃないかと思っています。
「こんな派手なもの着れなくない?」みたいなことは当たり前に言われるんですけど、そもそも日本人って派手なものを着てたんじゃないかなと。着物だって総柄ですよ。江戸の町民文化では商人たちが柄で遊びはじめたり。柄と柄を重ねるみたいな。それがあるタイミングからだんだん地味になり、そして今では派手なものは着ないってなって。この潮目って何なんだろうって思うと、多分それは戦争なんですよね。どんどん禁欲的になるじゃないですか。もちろん目立っちゃいけないみたいなのもあるから。そうなると単純に、その柄はないだろみたいな締めつけが定期的にあって。戦後の洋服カルチャーになるところでばったりと派手好みが途絶えてしまったんだと思うんですね。
だから、以前の日本には豊かな柄があったし、柄を楽しむという感覚があったから、戦争のお土産品を日本で作ろうってなった時に、中国で作ってるものよりも日本製の方が特に派手で美しいものが作れたんだろうなと。そういう素養が元々日本人の中にあったんでしょうね。
07普段着と土産のあいだ
普段のスカジャン。土産のスカジャン
でも、それはスカジャンのすごいところだと思っていて、第2次世界大戦の後、いろいろな戦争土産が作られたけど、今でも普段使いのものとして残っているのはスカジャンだけだと思うんです。だからこそ、みんな普段使いの服として誰も着ないよって言ってるんです。単なるお土産品じゃなくなっちゃったからこそ混乱してる。「スカジャンなんて普段は誰も着てないし……」って。いやいや、お土産としてのスカジャンのことを言っていて、普段着で楽しんでいるかどうかは違うんですよって。だからそこにスカジャンの功罪があるんでしょうね。ファッションカルチャーの中では今でも面白いスカジャンってめちゃくちゃ作られてるし、どんどん新しいものが出てくる。それは絶対になくならない文化として存在している。でも、横須賀の文化としてのスカジャンは、誰も顧みなかった結果どんどん小さくなっていってるんですよね。ファッション史におけるスカジャンはどんどん大きくなって、横須賀のスカジャンという本家が破れるみたいなことはもったいないと思うから、もう一度熱くしたいなというのはあります。
08描くこと
絵を描くことから逃れられない
私がやっていることって、スカジャンの歴史と知識があった上で、それらをたまたま絵で表現しているっていうことなんです。何なら自分で絵を描かなくても誰かに発注してもいいんです。私は正直、絵は別にそんなに上手くない。絵を専門で描いてる人たちって、もっと自由自在に描ける人いっぱいいるじゃないですか。でも、どうしても絵を描くことから逃れられないんですよ。絵をまったく描かない人生は無理だなと思って。
柄は祈りだみたいな話をしましたけど、絵を描いてる時もやはりそれは祈りだなって思うんですよね。というのは一般的な絵を描くのと違って、スカジャンの柄を描くのは縫い糸の方向とかも含めて描いていくから、単純作業の繰り返しを延々とやるんですよ。タブレットをペンで叩くカッカッカッカッって音しかしない。同じ動きの繰り返しです。神への捧げ物とか貢物が神聖であることを保証する最大の要素って、積み重ねなんですよ。つまり年輪。どれくらいの年月を繰り返したか。どれほどの繰り返しを続けることによって神に近づけるか。そんな考え方が根底にあるんです。刺繍も地域とか家族を守るために繰り返し縫うんですよね。お守りとかね。単純作業は痛みですよね。それを自分に与えることによって、その上に何かを願うんです。神輿もそうじゃないですか。辛いからこそ祈りになるみたいな。だから、繰り返し自分の体を捧げ続け、肉体的にダメージを与え続ける。それが祈りになるんですね。繰り返しは神のリズムで、続ければ続けるほど、確かにいま祈ってるなって思うんですよね。神に対して自らの運動を捧げる行為なんですよ。そのプリミティブなものは描くという行為によって感じることができます。デジタルを使ってアナログな動作をやっているから、想いが乗るって感覚ですよね。
私の絵は、圧倒的な知識に基づいて繰り返し正しく描ければいいと思っています。隙がないってことですよね。論理武装された隙がない絵だし、かつそのその論理武装がちゃんと絵のタッチまで反映されてるっていうか。「あ、これってスカジャンの絵だなって誰もが思う」というところなんじゃないですかね。誰かに「このスカジャン買ったんだ」って言った時に恥ずかしくないスカジャンって、そこまでやるかってことをやっている人が作っているかどうか、そこに尽きるのかなって思っていて。もっと別のベクトルや手法があると思うんですけど、私は実家がスカジャン屋でもないし、職人の息子でもないし、ずっとスカジャン職人をやってたわけでもない。だから隙のない密度と知識の精度、狂気性と言い換えてもいい繰り返しの作業で“そこまでやるか”を提供したいってことでしょうね。そうすることで、これまでのスカジャンを作ってきた人たちと同じような文脈で文化を残していけるのかなっていう。それはイコールスカジャンの存在が観光やお土産品としての機能に立ち戻ることができるんじゃないかなと。
09これから
傍若無人な柄を作る
スカジャンの魅力に触れる機会って、今すごく少ないんじゃないですかね。スカジャン好きって、ビンテージスカジャンが好きな人だったり、浮世絵とかの和風が好きな人、あとスカジャン着たキャラクターとかアニメから好きになる人とか色々分類できるんですけど、もっとシンプルに昔の人が「このスカジャンいいじゃん」って言う感じで好きになっていいんじゃないかなって。もっと普通にいいじゃんって思ってもらえるものを、この街で作れていないということかもしれないけど。ファッションの文脈でめちゃくちゃカッコいいスカジャン作ってるって事実はもちろんあって、と同時にここ横須賀、ドブ板通りでしか作れない、「私」の文脈においてのカッコいいスカジャンっていうのもなくちゃダメなんですよやっぱり。色んなものがあるから面白いってのはありますから。その横須賀の文脈において作られるスカジャンがなくなっちゃったら、ちょっと悲しいよねっていう。かつてはここでスカジャンが作られてたんだよみたいになっちゃうとね。
私がやろうとしていることは、「傍若無人な柄を作る」ということなんですけど、それはあくまでも尊敬するスカジャン職人のイカリさんが生きていて、この時代にスカジャンかっこいいから作ってよって言われた時に作るであろうものを、同じように作れるかどうかってところが、正統な後継者だと思うんですよね。自分がスカジャンってかっこいいな、どこにもないようなものだなって思った時にキラキラして見えたものは、まさにそういう作っている人に対する尊敬だったんですよね。傍若無人な、今までにない柄を作る。それが私のやりたいこと。そうすると、ファッションの文脈でもかっこいいし。誰も見たことない柄はやっぱりかっこいいと思います。スカジャンや戦後のお土産品を見て、何だこれかっこいいな、欲しいなって人たちが集まってきて出来上がったのがスカジャン=ドブ板通りという認識なんで、それを現代でもやりたいです。結局何かモノが作りたいんですね。でも他の人が作ればいいものを作ってもしょうがない。自分じゃないと最高傑作が作れないみたいなものを作るためにはどうしたらいいだろうかというのがずっとあって。高校時代に自分より絵が上手い人はたくさんいるってことを知って、絵を描く以外でワクワクする、楽しそうなことは何かなって考えたら、世界を変えられたら楽しいぞって。世界は人で出来ているから、人を知れば世界を変える方法がわかるかもと思って、心理学を勉強したんですよね。何をするにしても、人を知らないと新しいものが作れない、すなわち見れば一発でわかるような圧倒的な何かを作るには人を知る必要があるんじゃないかなと。
先日奈良へ行って街を歩いていたら、「あ。ここに住みたいわ」って思ったんですね。道路がありえないぐらい広いんですよ。だから何かそういう、人を惹きつける圧倒的なのものがインフラとしてあれば、それでいいじゃないですか。太陽の塔を目の前にして「太陽の塔の魅力はー」って理路整然と説明する必要がなくって、とにかく見てっていう。だから、スカジャンがそういうモノであれば良かったんですけど、そういうスカジャンは失われてきてしまったんですよね。これは相当みんな頑張らないといけないよねって、その奈良の広い道路を歩きながら思ったんです。ここまでやるかってぐらいの圧倒的なスカジャンを、ドブ板通り商店街で作っていきたいですね。
(2022年8月31日行われたインタビューより)